巨星墜つ
今年はかつての保護犬「マミー」「ひな太」と相次いで訃報が入りました。
ほんとに犬の寿命は短いなあ。
そして、最後の最後に、黒犬界の巨星の訃報が。。。
2005年に撮った、4匹の黒犬。
最後に生き残ったぽんぽん(最後列)がついに亡くなりました。
ぽんぽんは当ブログに何度も登場してくれているので、読者の皆さんにはおなじみですよね。
これがうちに残る最初のぽんぽん。
まだぽん母さんの元に迎えられる前。
生後7ー8ヶ月という感じでしょうか。
2003年末。
キャンプ場の捨て犬でした。
ここから、この子がいかにして「ぽんぽん」になったかのドラマチックストーリーは、
ぽん母さんによるこちらの記事👀をご覧ください。
(終了したブログ記事が消えていく中で、まだ残っていてよかった!)
その後、不思議な縁で、ぽんぽんは我が家の親戚犬のような存在になっていきます。
翌年里帰り旅行に連れて来てもらったぽんぽんは
別犬のようにフサフサの大型犬になってました。
みなみより小さかったのが、みなみより大きくなってた。
よその犬にはあたりが厳しいみなみ&ナツも
ぽんぽんのことはすんなり受け入れ。
以来、ぽんぽんは東京のイトコ犬になりました。
その後も何度も里帰り。
棒取り遊びも慣れたもの
そして2011年の震災の直後、原発が爆発して、東京辺りも流通が止まって、ガソリンがなかったりで
大型犬を連れて避難できる目処もなく
飼主さんとぽんぽん自身の安全と命のためにも、疎開を勧めました。
そして数日後に、ぽんぽんだけやってきました。
短い時間で決断して、あの大混乱の中でその手配をするのもどれほど大変だったでしょう。
一時的とはいえ、愛するわが子を手放す大きな愛。
逆の立場だったら、犬だけを送って別れるという選択が、自分にできたかどうか疑問です。
そんな強い絆で結ばれた飼主さんと別れたぽんぽんは、毎日、外を眺めて飼主さんが来るのを待ってました。
その後ろ姿を見ているのも切なかったです。
だからって、一日中沈んでわけじゃないですよ。犬だからね。
ぽんぽんが来てくれたおかげで
ナツがいなくなった後の、私達の心の穴は少しふさがりました。
また黒大x2になったから。
そういう意味で、私達もまた救われました。
賢くてお行儀もよくて、本当に楽な犬でした。
もう、うちの子になるか?なんて思いましたけど
ぽんぽんは、日々、楽しく暮らしながらも
「ここの子にはならない」という意思表示を続けました。
それは、決して、みなみやケンと同じベッドでは寝ない。
私達の寝室では寝ない。
夜は必ず、ひとりで、ソファの上か、ダイニングで眠っていました。
そして2012年1月にお迎えに来たぽん母さんと一緒に帰っていきました。(その時の記事)
その後もぽんぽんとの繋がりは消えず、
長くなるので、ちょっと飛ばしますが
私が東京に行ったときも逢いましたよ。
2016年には箱根のぽんぽんとナツの像を、直々に案内してもらいました。
(美しきぽん母さんは、顔出ししてらっしゃるので、あえて修正せずに)
2018年6月。(まだ去年じゃん!)
みなみが死んでしまった後、一人旅に出て
15才で、まだいっぱいお散歩してたぽんぽんと会いました。
うれしかったなあ。
この後、ぽんぽんはあちこちがひどく悪くなって、ぽん母さんは持てる限りの力を尽くしました。
あまり歩けなくなったぽんぽんのために、彼女は車も買いました。
大きなカートといっしょに、ぽんぽんを公園やカフェに連れて行きました。
大型犬の介助、そして介護は本当に大変。
体力も、筋力も、財力も、家族の協力も必要です。
みなみの時に私達がしたのとは比べものにならないぐらい全てをかけてました。
それは、もう、端で見てる方が心配になるぐらい献身的に。
更新されるインスタグラムの写真を見ながら
「まだ瞳が生き生きしている」
みなみは真っ白だったなあ。。。
「首がしっかり上がってる」
みなみは死ぬ1年以上前から、首をあげられなかったなあ。。。
みなみの晩年と比較しながら、まだまだピカピカのぽんぽんを見ていました。
これなら年を越せる、と確信していました。
それだけに、突然の訃報はショックでした。
でも、さっきまで元気だったのに、ご飯食べたのに、
突然容体の変わったぽんぽんに一番の衝撃を受けたのはぽん母さん。
言葉にならないほどの悲痛さは想像できます。
本当にお気の毒です。
直後にもらった電話を聞きながら、彼女が受けた激しいショックを思うと
「かわいそうに。。。かわいそうに。。。」と言うしかできませんでした。
ぽんぽんは、痛みもない世界に旅立ちました。
よくがんばったね。
幸せな、これ以上ない愛に包まれた幸せな一生だった。
そして、ぽん母さんの喪失感は、
手をかければかけただけ、大きいことでしょう。
また予期せぬ時に、最期を迎えてしまった悔しさも並大抵ではありません。
誰にも癒せない。
ただ、時間だけが頼りです。
箱根の「しあわせな犬」像は、こんなナツとぽんぽんです。
ふたりとも、まちがいなく幸せな犬だ。
そしてあなた達に巡り会えた私達それぞれも
まちがいなく幸せな犬飼いです。
ぽんぽん、すてきな一生を見せてくれてありがとう。
ぽん母さん、お疲れ様でした。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私の中で、石垣島=黒犬が多いという錯覚は、ぽんぽんさん、ナツさん、みなみさんの影響だと思われます。
犬の寿命は短いけれど、その大半をぽん母さんと一緒に暮らせたぽんぽんは「しあわせな犬」だと思います
投稿: | 2019/12/29 01:48
> さん
当時は黒犬が多かったんですよ。ほんとに。
今はあまりいませんけど。
はい、まちがいなくぽんぽんは幸せでしたね。
投稿: 藍mi-goro | 2019/12/29 21:07
素敵な記事をありがとうございます。
直後は頭が混乱してしまっていてとてもコメントはかけませんでしたが、それでも、そんなふうにぽんぽんを大事に思って私たちを見守ってくださり、たくさん助けていただいたこと、改めてありがたいと読みつつ噛み締めておりました。
今読むとまた涙涙ですね。
直後に、病院の先生とmi-goroさんにだけはお伝えせねばと亡くなってすぐに電話をかけたのでした。きっとそうしないとやってられなかったのかもしれません。
2月の49日、どうぞ一緒にお見送り(お出迎えなのか?)お願いいたします。
投稿: ぽん母 | 2020/01/29 02:49
>ぽん母さん
コメントをいただく必要なんてないのに、お気遣いありがとうございます。
私もみなみの時に、泣きながら電話しましたから気持ちはよくよくわかります。
自分で書いたけど、やっぱり読み返すと泣いてしまいますね。
四十九日がすむと、なぜか一段落するように思います。
なのでごいっしょに見送り(だと思う)ましょうね。
投稿: 藍mi-goro | 2020/01/30 21:33