言葉の定義
インターネットのおかげで、ホームページ、ブログ、twitterなど
日本の端っこ石垣島にいても、日本中、世界中の人とおしゃべりしたり、意見交換したり、論争したりできるようになりました。
でも実際には会ったことない人達がほとんどで、お互いの背景や基本的情報も知らないし、あくまでも目の前のモニターに示される文字情報だけに反応しているわけです。
それはそれで偏見なく接することができるとも言えます。
お互い文字だけですから平等。
でも、会って話していれば起こらないような、言い争いになることもあります。
特にtwitterは140字という字数制限があるので、どうしても説明不足になり、あちこちで無駄な言い争いがあるような気がします。
端から見ると、同じような事言ってるのに・・・
人は、育った時代や背景・環境・経験によって、いろいろな感情・考え・反応体系を持っています。
だから言葉に対して持つイメージも違います。
例えば「家族」という、超基本的な単語。
基本的だけど、これに対してどういうイメージを持つかは、実は人それぞれ。
「暖かい大事な場所」という前提で話す人もいれば
「うるさくてじゃまなもの」と思って話す人もいるかもしれない。
(高校生ぐらいの時はそう感じたことないですか?)
相手が「言わずもがなの大前提」としていることが見えないと、
行き違いが多くなります。
つまり、テーマ的重要な言葉ひとつひとつのイメージや定義が違うと、
話せば話すほどすれ違い、大したことない差が大きくなり、理解不能になってしまうことも。
そうなったら、一度原点に戻って、その場で中心となる言葉の定義から確認した方がいいのです。
絡んだ糸をほぐすように、最初からひとつずつやっていく。
それからその上に議論を積み上げる。感情的にならずに。
ある程度の年齢の人間なら、それぞれがしっかりした信念や価値観を持ってます。
人に自分の考えを押しつけることはできません。
意見交換して、考えるべき点があれば考え、取り入れるべき点があれば取り入れ、意見が合わないなら合わない。
よほどのことがない限り、私は人を説得できるとは思いません。
でも、自分が説得されようとも思ってません。
それぞれの意見を持ち寄り、話し合う。
その経過が大事ななんだと思います。
偏見や先入観で決めつけず、話してみる。
それで決裂なら決裂でいいじゃないですか。
やっぱりダメなものはダメだし。
でも、話さないで決めつける人が多すぎるように感じる今日この頃です。
感情的に結論をぶつけるだけじゃなくて、
きちんと順に議論していくことができない人が多いのかもしれません。
面倒くさいし。
日本ではディベイトのやり方とか教えられないからしかたないのかな。
国会でも全くまともな議論になってないことがしばしばありますよね。
本質に切り込まず、揚げ足取りとか、答になってない答とか。
そういう本質から外れた所で、大臣辞めさせたり、審議が進まなかったり。
いかん、話がずれてしまいました。
要は、絡んだ議論は、使う言葉の定義からやってみよう!でした。
続きはまた後で(or明日)。←ツヅクノカヨ、オイ!
追記
後でも明日も無理でした・・・続き書くのはもうちょっと時間かかるみたいです。
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コメント
イイネボタンがついてないから、手作業で「イイネ」(笑)
投稿: 犬やかん | 2011/11/28 22:19
イイネ!
投稿: P母 | 2011/11/29 00:29
「イイネ」thank you!!
投稿: 藍mi-goro | 2011/11/30 17:38