村上春樹のスピーチ
好きな作家のひとりである村上春樹さんが、6/9にバルセロナで行ったスピーチが良いです。
この3ヶ月間、私の中にクリアーに、あるいはもやもやと心にあった思いや考えを
すっぱりと言葉にしてもらった感じです。
一部をご紹介します:(著作権とかあるので少しだけ)
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
(略)
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
(略)
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
(略)
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
(略)
原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
(以下略)
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こちらからお読みください。原稿全文
スピーチ動画はこちらから (残念ながら非公開になってます)
(村上春樹の声を聞いたのは初めてかも知れない)
"You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one"
きっとBGMはこれだ。
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コメント
この講演、ホントにそのとおりですね。
今までの暮らし、考え方を方向転換するために少しでも何かできればいいなぁと思います。
・・・天国は、ない〜
ジョンレノンより俗っぽいですが、子どもの頃聞いていた清志郎-RCサクセションのアルバム「COVERS」を思い出しました。
「イマジン」のカバーもありましたし、原発推進に疑問を投げかけた「サマータイムブルース」、核兵器反対をしんみり歌い上げた「ラブミーテンダー」も忘れられません。
投稿: MTST | 2011/06/11 23:10
>MTSTさん
清志郎さんのCOVERSは原発事故以降、随分引用されたり歌われたりされてますね。
これを機に、いよいよメジャー発売となればいいのに。
清志郎のストレートな歌声がもっともっと響き渡ればいいですよね。
多くの人が、ずっと以前から訴えてきた事に、ようやくより多くの人が耳を傾けられるようになったということでしょうか。
計り知れない犠牲をだすことによって。
遅すぎなければいいのですが・・・
投稿: 藍mi-goro | 2011/06/12 09:57
〈同感です。〉
二度目のお邪魔です。このページに導かれて,村上春樹氏のスピーチを見聞できました。
我々が使うエネルギーに関して,例えば,どれくらい原子力に頼ってきたかとか,原発がどこに所在しているのかとか,自分は関心を持たずに生活してきました。
今回の事故で,メディアは枕詞としてそれら基本知識を取り上げてくれるので,遅ればせながら,否応なく意識せざるを得ない状況になっております。
当地は被災県であり,3月の大震災で,電気,水,ガス,食料,流通,交通等のありがたみを身に染みて痛感しました。同時に,それまでの生活のだぶつき(当家は子どもがいないので,特に脳天気な生活を送ってきました。)を自省しております。
エネルギー政策の是非を論じる知見を持っておりませんが,後世や今の他人様につけを回しかねない方法で,エネルギーをまかなうのは,単純に言っておかしいです。100年前に戻ればいいなどと極論しませんが,身の丈サイズにおさまるように生活を見直したいと考えております。
15パーセントの節電で経済が不活になるとか,被災地のために積極的に消費していこうなどと煽るメディアもありますが,本当かなと思います。普通の生活を普通に送っていきたいものです。
投稿: やたがらす | 2011/06/13 18:19
>やたがらすさん
物事がうまくいっていれば、私達はその原理も効率も気にせずその成果を享受しているのですが、いったん事がこうなった以上、もう一度見直すべきは見直していくことが大切ですよね。
電気のない生活はもちろん、便利な家電のない生活にすら戻る事は難しいですから
おっしゃるとおり「身の丈サイズ」の生活を意識していかねばいけないと思います。
何がベストなのか判断基準も色々で、個々の事情や状況によっても違うでしょう。
マスコミや人の目に惑わされることなく、自分にとっての「普通の生活を普通に送っていく」ことを心がけたいです。
投稿: 藍mi-goro | 2011/06/13 21:54