村の送別会
先月のことですが、村の公民館で送別会が行われました。
石垣にしては真冬並みに寒い日で、みんな厚いコート、ジャケットを着たままで。
(島の公共施設には暑さ対策があっても寒さ対策はない。たいてい窓が開けっ放し←後で私が全部閉めた。)
ちょっと早めに行ってテーブルセットなんか手伝おうと思いましたが、
10分前でもうテーブルにごちそうが並んでいました。
この日、準備してくれた人が選んだのは、いつものお寿司入りのオードブルとピザでした。
ピザはめずらしいので、オバー達にも大人気。
飲み物は、泡盛、ビール、ワイン、お茶、紹興酒と種類が多いのも珍しかったです。
差し入れを持参してくださった方も。
綿毛布が入っていたぐらいの紙箱を開けると
一輪の花と「悪くならないように」というおまじないのサンが。
すてき![]()
わくわくと紙をのけると
見事なお手製ぽーぽーがたくさん!
ぽーぽーは黒糖味のクレープに近い沖縄スイーツ。
この村の人達の出身である読谷村の中でも、特定の地域の女性だけが、ここまで見事なぽーぽーが焼けるのだ、と自慢していました。![]()
ぽーぽーも半分に切って、お皿に並べてテーブルのあちこちにおきました。
さて、人が揃って、お料理と飲み物が揃えば、あとはいつもの
歌と踊り![]()
この日は、村の高校生二人が三線と笛で伴奏。
郷土芸能部の友達を二人誘ってくれて、計4人で盛り上げてくれました。
雰囲気が暖まってくれば、あとは村の腕自慢達の出番です。
代わる代わるに、十八番を演奏して歌います。
あいさつなどを合間合間にはさみながら
宴も終わり頃になると
やっぱり、じっとしてられない皆さんがカチャーシーで大盛り上がり。
楽しい2時間ばかりの送別会第一部でした。
ここで女性陣や早めに帰りたい人は引き上げ。
後は男性陣が心置きなく、好きなだけ何時までも飲めるというわけ
。
もちろん残って飲みたい女性も大歓迎されますよ。
この村の宴会は、男性が準備し、男性が片付けます。
いつからそうなったかわかりませんが、村の歴史も関係あるのかも。
この村は1952年(戦後ですよ)に、沖縄本島からの開拓移民によって開かれました。
道も水道も何もない、ジャングルに
まず男性陣だけが船で海岸に上陸して、物を運び、
人力でジャングルの木々を倒し、岩を砕き、借りた牛1頭と鍬で畑にして、
掘っ立て小屋をみんなで建てて数ヶ月後に妻子を呼び寄せたそうです。
道路が通じたのは更に3年後。
水道も学校も自分達で作って、台風・マラリア・干ばつと戦い、
途中貧しさや食糧不足に耐えきれず、本島に戻った方もおられたそうです。
そういう時期を堪え忍んで、ここまで美しい村を築かれた皆さんです。
TV放送が見られるようになったのは1975年。
1985年にトンネルが開通して、市街地まで車で30分ばかりで行けるようになりました。
東北の惨状は筆舌に尽くしがたいですが、
今は重機もあるし、さまざまな協力もあります。
人間って、すごくすごくたくましいことを、この村の開拓一世のお年寄り達を見ていると実感します。
村の人達は、震災後の様子を
「戦後の沖縄と同じ・・・」と涙ながらに共感して話されます。
何もかも破壊されたところから始まった、戦後沖縄の復興。
この村の人達は、破壊され米軍に奪われた故郷の村から、更に遠く離れて、体一つで新しい村を建設されたのですから、身を持って、そのつらさ、大変さを経験して来られました。
だから、きっと東北の皆さんも、また美しい町や村を建設できることを信じています。
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