入院ライフ−3
入院患者の1/4ぐらいは、自分で動ける、いわゆるオバー達。
慣れない生活にとまどう最初の数日は、このオバー達のゆんたく(おしゃべり)に救われました。
もちろん皆さん(全員80代)どこか悪いのですが、一見、いや明らかに、一番若いはずの私の何倍も元気。
お互いの出身地の話から、さまざまな話題に花が咲き、それはもう朗らか。
私にとって幸いだったのは、宮古島からいらしている方もあったので、石垣島の人達とは共通語で話すこと。
これが同じ島同士だと、もう私には理解不能になってしまいます。
会話の発端は、新参の入院患者でも、看護師さん達相手でも同じ。
「どこの人?」(出身村、島、県など)
「旦那は?」
「子供は?」
この基本質問から、どこか共通点を見いだして行きます。
出身村に知り合いがいれば、その人を知っているかどうかなど。
共通の知人探しは、あちこちで行われてました。
これが、もう、びっくりするぐらい、共通の知人が見つかってました。
さすが島!
それがすむと、互いの女の一生話。
まずは入院している原因の病気や怪我の経緯。
家族のこと、旦那のこと、子供や孫の話、嫁の話、姑の話などなど
ゆんたくはどんどん続きます。
さすがに高齢なので、同じ話が周期的に繰り返される
のもあり、ネタがつきません。
私はほとんど自分のベッドで寝たまま聞いているのですが、これがおもしろくて、ひとりでクスクス笑ったり、ブッと吹き出したり。
ある時は宮古民謡や石垣民謡を歌い
、手拍子で踊り、それはそれはにぎやか![]()
あまり楽しそうなので、私もベッドから出て行っちゃいました。
検温に入ろうとした看護婦さんに「廊下で聞くのはタダだけど、部屋に入るなら入場料払ってね」なんてふざけたり。
でも、メンバーは順に退院してしまうので、そんな雰囲気も数日で終わり。
実は、入院患者の半数近くが認知症あるいはそれに近い患者さん達でした。
知識/情報として頭で知っているのと、現実は重みが違います。
初めて、長時間目の当たりにする、認知症の患者さん達は、衝撃的でした。
既にほとんど言葉を失っている方でも、何度も顔を合わせるうちに何かを伝えようとされることも。
わかる限りで返事や対応をすると、通じてないかな、と思っても、ちゃんとお礼を言われたり。
患者さんご本人の悲しさ、いらだち・・・
ご家族の悲しさ、疲労・・・
やり場のない怒りと哀しみがこちらまで伝わってきます。
そして自分もこうなるか、という恐怖が心を縛ってきます。
ノリのいいオバー達に変わって、まだ動けるし、声も出せる患者さん達が順次入られました。
つきそいの家族の方が帰られると、名前を大声で叫びながら、病院中を探しまわる人も。。。
不安と悲しみでいっぱいの絶叫をしながら、夜中徘徊していたこともありました。
もちろん看護師さん達も、できるだけ静かにしてもらおうと努力はされ、一睡もしないでついておられたことも。
私達も眠れない夜が続きました。
普段、介護をされているご家族の方の言語に絶する大変さも察せられます。
それでも、歌好きの元気なオバーが、そういう人達に島の民謡を聴かせると、
ほとんど話さない人が、民謡を3番まで空で歌ったり、
悲しそうに叫んでいた人が、にこにこと歌いだしたりするのでした。
記憶というより、体にしみ込んでいるのでしょうね。
民謡の力の強さを感じました。
島の老人介護施設では、民謡や踊りを積極的に取り入れているようです。
TVで介護士養成学校の宣伝文句が
「うたって踊れる介護士を育てます」なのも納得。
そんなわけで、断続的にしか眠れない夜が続き、前からの冷房攻撃もあり、
私はだんだん参ってしまいました。
言いたくない文句も、口から出るようになってしまい、
自己嫌悪にもなりました。
つづく...かな?
ドイツには犬猫の殺処分は存在しないんだって。
いいよね。
どうしてかはこっちの記事
をよんでください。
里親さん募集中のコナンのブログはこっち。
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コメント
ウンウン、、、
参ってしまうのはよく理解できますよ。
自己嫌悪になるのも理解できます。
看護する側の私でさえそうです。
仕事を進めなきゃいけない、話を聴いてあげたい、この板挟みで、上手く自分をコントロールできない自分が恥ずかしくなる時があります。すっごく疲れてしまって、仕事に行きたくない時だってあります...
投稿: かんなママ | 2010/04/15 15:53
【両親が認知症になりました】
今は東北に住む50歳代の男性です。石垣島が気に入り,7,8回うかがっております。
4年前の母に続き,昨年父も認知症と診断されました。要介護度,ケアマネージャー,グループホームなどなど,テレビの向こう側の話が一気に降り注いできました。
発覚の発端は交通事故です。仕事で関東に暮らしていた自分のところに警察から連絡が入り,とにかくすぐ来てくれと言います。父は無傷でしたが,追突の相手はむち打ち(しかもその場から離脱したことで,その後免許取消)。本人の様子がおかしいので,医者に診てもらい,発覚したものです。
今は,認知症老人用のホームに預かってもらい,息子やその嫁が分かる程度になっていますが,途中が大変でした。脳こうそく性と診断されたので,その治療とリハビリのため入院した病院でこっぴどい扱いを受け,本気で訴えてやろうかと悩んだものです。
しかしまあ振り返ると,自分が転勤族となり,長年,老夫婦二人暮らしをさせてきたのも事実,そばにいてやれば道筋がまた違ったのではと後悔しました。
認知症にもいくつかタイプがあるようですが,進行を緩やかにすることが主眼で,以前と比べて足りないところを探すのは不幸だと知りました。
今年,遅まきながら,職場に頼み込んで,地元に戻っています。
自分も物忘れが頻発するようになりました。家内はあんたもそろそろだ,と言っています。
投稿: やたがらす | 2010/04/17 09:24
>かんなママさん
看護される側は本当に大変ですよね。その患者さん専門ならともかく、他の患者さんのお世話もしなければならないわけですから。
私のいた病院では、あまり大変になると家族の方になるべくついてもらったりしていましたが、家族の方にすれば、入院している間ぐらい、ゆっくり眠りたいでしょうし、皆さん本当につらい立場ですよね。
こっちも丈夫で元気なら我慢できることでも、心身ともに弱っていると、許容範囲も小さくなってしまってイライラしたりしてしまいました。
>やたがらすさん
コメントありがとうございます。
ご両親共にですか・・・やたがらすさんのご心労を思うと言葉がありません。
病院の実情もいろいろで、その選択からがこちらの仕事になるのが問題ですよね。
でも専門のホームに預かってもらえて、まずはホッとされていることと思います。やはり対応方法をきちんとしてもらえるのが一番だと思います。
私の短い経験では、ストレートな感情表現などまさに子供に戻られているよう方達と、その感情表現まで無くなってしまっている方達とがおられました。
どちらもご家族の方がいらっしゃると、普段なかなか進まない食事なども、よく召し上がられてました。
だから、やたがらすさんが地元に戻られて、ご両親様もきっと何度も会えるのを喜んでおられるでしょうね。
きのう同時期に入院しておられた、まだ60代ぐらいの若い認知症の方に病院で顔を会わせました。その時はまったく無表情で、看護婦さんに聞かれても、自分の名前すら時々わからなくなっていました。もちろん私とは何のやりとりもありませんでした。
でも、きのう私と顔があったとき、明らかに「あら?」という表情が目に現れて、私が会釈すると、戸惑いながらも小さく会釈を返してくださいました。
どこか記憶に残っていたのでしょうか。その方のためにうれしかったです。
ご両親様も、少しでも進行が遅くなって、わかり合える時間が増え、それが長く続くことをお祈りいたします。
投稿: 藍-mi-goro | 2010/04/17 11:27